福井県にある山代温泉は、聖武天皇の神亀2年(725)行基菩薩が北陸巡錫の折、温泉を発見して以来1,300余年の歴史があり、その霊験はあらたかと評判です。
 山代温泉には、老舗の「あらや」と「くらや」(現在は吉田屋 山王閣と改名)の屋号の付いた温泉旅館があります。行基菩薩所縁ゆかりの温泉ですので、唯識の第八阿頼耶識あらやしきから命名されたものと思い、さすが奈良時代の佛教の基本思想が行基菩薩によって遥か越前の国まで及ぶ歴史の重さを感じていました。

 「唯識」を訓読すれば、「こころのみ」です。私たちが見たり聞いたりすることは、すべて心が作り出すと言う事です。つまり、心以外に何物もなく、普段から心の外にあると思っている物質など何もなく、心以外の客観的世界である外界がいかいは存在しないと知る事です。我々の心の外に事物は何も存在せず、我々の心と、心に現れた心理作用だけが全てです。心の外に何も存在しないことが理屈として分かっていても、それでもしばしばその存在しないはずの外界に心を乱されたり、そそのかされたりするのが人間というものです。外界は実在しないと頭で分かった上で、我々はどのように行動すべきか、何を修行すれば心の真の安らぎを得られるかが肝要です。

 阿頼耶識の「阿」は「大きな」という意味です。「頼耶」は「藏」です。阿頼耶は意識無意識に拘わることなく何でも納めることの出来る大きな藏で、貯蔵することを意味します。もう一つの意味として、執着や愛着する事でもあります。「識」は心です。私たちは見たもの聞いたもの感じたもの全てを心で受け止めています。しかしそれが全てではありません。自らの意志に拘わらず、無意識であっても心に蓄積されます。詳しくは拙著『唯識 これだけは知りたい』法藏館刊をご一読ください。

 山代温泉の「あらや」の歴史を調べてみると、加賀前田家より荒屋源右衛門が湯番頭ゆばんがしらを命じられ、苗字をそのまま屋号にしたことが始まりで、現在も温泉旅館として旅の疲れを癒してくれています。
 一方「くらや」は立派な藏造りの建物で、そこから「くらや」の屋号となったそうです。「行基菩薩」といい「あらや」といい「くらや」といい、あまりにも条件が揃っているので、山代温泉にも奈良時代から瑜伽唯識の教えが伝えられているものと思い込んでいました。当にその思い込みが、唯識そのものです。自ら物語を作り出し得心していて、独りよがりの甚だしい状況です。

合 掌



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