東京都品川区東五反田に薬師寺東京別院がございます。
 昭和50年正月より正式に発足して以来、休むことなくお写経勧進の道場として、48年の歴史を重ねてきました。

 通称「池田山」と呼ばれているこの地域は、江戸時代に岡山藩主池田公の下屋敷であり、明治時代には池田侯爵の邸宅がありました。山の手の高級住宅地として、昭和4年(1929)宅地分譲が行われました。大谷石で築かれている建物の外構が今も点在していて、昭和初期建築の名残です。また昭和8年に建設された美智子上皇后様の生家である正田邸も近くにあり、現在は品川区が公園用地として跡地を整備し、平成16年8月26日「ねむの木の庭」として開園されました。「ねむの木」という名称の由来は、美智子上皇后様が高校時代にお作りになった「ねむの木の子守歌」に因んで命名され、様々な樹木や草花約50種が植えられており、一年中を通して季節の花が咲き誇っています。

 池田山にある薬師寺東京別院の土地と建物は、和歌山県田辺市で山林業を営んでおられた山本家の一人娘、山本伽耶様の邸宅でした。従兄と結婚後2児に恵まれ、幸せな結婚生活を過ごされていたのも束の間、夫の急逝、両親の逝去、2児の戦死と次々に不幸が訪れます。失意の底にあった伽耶刀自は、少女期にたしなみ免許を皆伝された香道の普及に生き甲斐を求め、一心に勤められました。
 香道は茶道や華道と同じく、とても優雅な芸道です。香道が生き甲斐となった伽耶刀自は、時の名士を自宅に招いて聞香会もんこうかいを開催されていました。当時橋本凝胤管主や高田好胤副住職も招かれ、更に東京における宿泊のお世話もいただきました。
 そして、山本邸における聞香の様子が、宮尾登美子氏により『伽羅の香』として婦人公論に掲載され、昭和56年6月中央公論社から出版されました。小説に登場する「葵」が山本伽耶刀自自身です。また日本画家の伊東深水画伯(明治31年~昭和47年)が、山本邸書院の床を背にして香を聞く姿を描いた「聞香」(昭和25年作)は東京竹橋にある東京国立近代美術館に収蔵されています。

 香道の普及に勤めることを薬師寺に託して、伽耶刀自は山本邸をご寄進くださいました。昭和46年2月5日に他界された山本伽耶刀自の遺志を引き継ぎ、財団法人「お香の会」が設立されました。東京別院は、香道の普及と共に佛教の布教所として、お写経勧進の道場として大勢の皆様に愛されています。

合 掌



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