昭和24年8月28日 愛知県中島郡起町三条(現在の一宮市)の実家で誕生した私は、大学を卒業してすぐに高田好胤管長さんの下で薬師寺の僧侶として新たな一歩を踏み出しました。
 師匠の薫陶を受け、般若心経のお写経勧進や各地での法話会、カルチャーセンターの講師として招かれ、見様見真似の手探りで真似事の佛法の種まきに勤めて参りました。大勢の前に立って法話をする以上、勉強しなければお話をすることが出来ません。そのため佛教書を読み、一人で勉強しましたが、基礎から佛教を学んでいないので僧侶として不安がありました。回を重ねることにより、お蔭で何処でもお話が出来るようになりましたが、独学の知識では何となく不安でした。

 60歳の還暦を迎えた平成21年、大学で勉強をしてみようと思い立ち、京都の龍谷大学を受験しました。実践佛教を積んだ私は、大学の講義が手に取るように理解でき、自分の持っている知識を全て捨てて、ゼロからやり直そうと考えました。40年の実践佛教の積み重ねに学問佛教は大きな力となり、僧侶としての充実感を感じました。

 平成元年8月16日法相ほっそう宗管長大本山薬師寺管主に就任しました。薬師寺は興福寺と並んで「法相」、いわゆる「瑜伽唯識ゆがゆいしき」の教えを学ぶ拠点です。薬師寺の管主となった私は、僧侶となって50年。「瑜伽唯識」の教学を全く学ぼうとしていませんでした。法相教学の基礎がなくても、形だけの住職を勤めることは可能だったからです。そこで京都大学人文科学研究所の先生から勧められ、特別に瑜伽唯識の講義を3年間に亘って受け、その成果を令和5年4月に『唯識 これだけは知りたい』として出版することができました。
 唯識は全ての煩悩を滅して払拭しない限り、永遠に深い深い泥沼の中を浮沈するような輪廻の輪から抜け出すことができない人間に対して、客観的に問い、理想を追った思想でした。その追及は煩悩に満ちた人間性の在り方を徹底的に問うもので、寸分の妥協も許さない純粋なものだったからこそ、難解な教義として敬遠されるようになりました。この様な杞憂を持つ法相宗の一僧侶として、瑜伽行唯識派の歴史や思想の要となる部分を解り易く纏めた『唯識 これだけは知りたい』の上梓は、この上ない喜びです。

 今年は高田管長さんが平成10年6月22日に遷化されて早くも25年になります。大正13年3月30日が誕生日ですので、満74歳と3ヶ月。今もお元気であれば100歳です。
 私は今年の誕生日で満74歳。弟子の師匠に対する恩返しは、師匠より一日でも長く生きることです。今年の11月末まで元気であれば、師匠より一日でも長く命を頂く事ができ、弟子として役目の一つを果たすことができます。

合 掌



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