佛教の基礎学であり僧侶にとって必須教学である唯識思想は、玄奘三蔵から道昭へと受け継がれました。8年間に亘り直接唯識の教理を学んだ留学僧である道昭(629~700)は、斉明7年(661)第四次遣唐使船の復路で帰国し、唯識思想を日本に伝えました。
2度目の伝播を担ったのは智通と智達でした(両僧とも生卒年不詳)。斉明天皇4年(658)勅命を受け、朝鮮半島の新羅国の船に乗って入唐しました。その為、智通と智達は、遣唐使船に乗船した記録が残されておらず、正確な帰国年も不明です。2人の僧侶が唐に渡ったのは道昭が留学して5年目の時でした。玄奘三蔵と智周の2人から教えを受けましたが、道昭と共に学んだという記録は確認できません。
智通と智達は、玄奘三蔵から「無姓有情」の教えを学びました。「無姓有情」とは、幾度生まれ変わっても永遠に悟りを得る事が出来ないという唯識特有の厳しい思想です。悟ることを最終目的として心豊かな幸せの世界を頂く事がお釈迦様の慈悲ある教えの根本の筈ですが、唯識思想における「無姓有情」の教えは、お釈迦様の基本的な教えに相反するもののように受け止められます。日本に於いても永遠に悟れない存在など在り得ないと反論する者も現れ、唯識思想を語る時に多くの人が強く興味を惹く思想の代表です。「無姓有情」については、回を改めお話します。
智通と智達の帰国後、智通は、奈良に観音寺や金剛山寺を建立し、天武天皇2年(674)僧正に任命されました。智達は道昭のいた飛鳥寺に住していたようですが、活躍の様子は伝えられていません。
合 掌
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