令和5年になって生活用品をはじめ食料品の高騰が続いています。特に卵の値上がりが目立ち、「卵丼」が高嶺の花になりつつあります。
1925年10月13日食糧雑貨商の家に誕生したマーガレット・サッチャー女史の生家は、キリスト教の敬虔な信者でありました。家訓である「質素倹約」「自己責任・自助努力」の精神は、サッチャー女史にも強く受け継がれていたようです。サッチャー女史は「人間として必要なことは全て父から学んだ」と述べています。オックスフォード大学で経済学を学ぶ才媛で、この頃に培われた思想が、後に経済改革の源流になったようです。
28歳で弁護士資格を取得した後、1959年庶民院議員に初当選を果たし、エドワード・ヒース内閣で教育科学大臣を務めました。イギリス経済が疲弊するこの時期、教育関連予算を削減する必要に迫られたサッチャー大臣は、学校におけるミルクの無償配給の廃止を決定し、「ミルク泥棒」と非難され、抗議の嵐を巻き起こしました。
イギリス経済が疲弊する中、高福祉の社会保障政策、社会保障支出の拡大継続、経済の規制緩和、組合対策で行き詰まった水道・電気・ガス・通信・鉄道・航空等の民営化による競争力強化を公約に掲げ、強いリーダーシップで断行し実績を重ねました。
答弁で、ある議員より物価高騰に対する質問を受け、「卵の値段を知っていますか」と逆に質問を切替した時、日々変化する卵の値段を誰も答える事が出来なかったそうです。でもサッチャー大臣は知っていました。何故かというと毎日執務に付く前にスーパーマーケットへ出掛け、卵をはじめ生活必需品の値段を確認してから執務に就いていたからです。
1979年一国の宰相として女性初の首相に就任したサッチャー女史の、政策に対する筋金入りの姿勢は、「鉄の女」と呼称されました。当時のソ連からつけられたもので、頑固で強硬なサッチャー首相を非難し揶揄するためのものだったのですが、サッチャー首相自身は気に入り、あらゆるメディアで取り上げられ代名詞として定着しました。
競争しなければ強くなれない、成長できないことを大人の世界ばかりではなく、子どもの教育法にも徹底して行われました。
サッチャー首相が英国社会に残した足跡は、英国の古い制度を解体したことに尽きると思います。
特定なものへの優遇をやめ、社会保障なども矢継ぎ早に改革し、安定した福祉国家を目指したことです。大改革を推進したサッチャー首相の実績を賞賛した国民の勇気は、イギリスの歴史に記される事になりました。
現在の日本国民も大いに学ぶべき事柄があるように思われます。
合 掌
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