王舎城(ラージャグリハ)の城外にある霊鷲山で説法をされていたお釈迦様のもとに、阿闍世あじゃせ王の命を受けた大臣 ヴァッサカーラが訪ねてきました。佛教教団の有力な擁護者である阿闍世王は、お釈迦様に帰依し何かあればお釈迦様に教えを乞い、その指示に従っていました。

 当時、インドで特に勢力を伸ばしていたのは、阿闍世王が統治するマガダ国と波斯匿はしのく王が統治するコーサラ国の二大国で、近隣諸国を次々に征服して領土を拡大していました。殆どの国が王政である中で、ヴァッジ国とお釈迦様がお生まれになった釈迦国、マッラ国の三国は議会制度で統治されていました。ヴァッジ国はガンジス河の北側に都市国家を形成して栄えていた小国で、裕福で文化度も高い国でした。マガダ国に接しており、ここを支配すればコーサラ国よりも強大になると考えた阿闍世王は、家臣ヴァッサカーラを派遣して、お釈迦様にヴァッジ国を攻めたいと思うがどうすればいいのか指導を求めました。

 お釈迦様はヴァッサカーラの問いかけに直接お答えにならず、弟子の阿難(アーナンダ)に向かって問い掛けられました。そして、その答えをヴァッサカーラに聞かせました。
 お釈迦様はアーナンダに 7つの項目をお聞きになりました。
 ①「アーナンダよ、ヴァッジ国の人々は今もよく集会を開いて、相談をして政治を進めているのか」と。「世尊よ、ヴァッジ国の人々は変わる事なく、よく集まりを開いて政治を実行しています」と。「そうか、集会が上手く纏まっている間は、ヴァッジ国の繁栄が期待され、衰退の心配をする事はあるまい」と。
 ②「よく自分の為すべきことを果たしているか」
 ③「昔からの掟をよく守って暮らしているか」
 ④「古老を尊敬しているか」
 ⑤「婦女子の保護は進んでいるか」
 ⑥「祖先を崇敬しているか」
 ⑦「聖人を尊んでいるか」と。
 それに対してアーナンダが「よく保たれています」と全て肯定的に答えると、お釈迦様は大きく頷かれ「それではヴァッジ国の将来の繁栄が期待されこそすれ、衰亡の恐れはないであろう」とお答えになりました。

 使者としてやってきたヴァッサカーラは、お釈迦様とアーナンダの問答をそのまま阿闍世王に報告します。その報告を聞いた阿闍世王はヴァッジ国の征服を断念しました。この7項目を守れば衰亡することはないという教えです。『大パリニッバーナ経』

合 掌



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