昔ある国の国境に険しい山が聳えていました。隣の国へ行くには、林を過ぎ、谷を渡って山を越えなければなりません。最近その山道を誰も通ろうとしなくなりました。恐ろしい噂が立っていたからです。ところが、噂を知らない二人の旅人がその道を登って行きました。崖の陰から二人の様子を窺っていたのは、五百人の泥棒でした。二人を待ち伏せていた泥棒は、身ぐるみを剥ぎ取るだけでなく、刀で切りつけました。人々はその悲惨さを王様に知らせました。すると王様は泥棒を退治するよう兵隊に命令しました。しかし泥棒は見つかりません。見張りの知らせで更に山奥に隠れ、兵隊が引き上げるとまた舞い戻って悪事を重ねました。
 ちょうどその頃、お釈迦様がこの国を通りかかりました。王様から泥棒の話を聞いたお釈迦様は、「かわいそうな泥棒を助けてあげましょう」と仰いました。すると王様は、「かわいそうなのはひどい目に遭っている旅人達です。隣の国に安心して行くことが出来るよう泥棒を懲らしめて下さい」。お釈迦様は、「一番かわいそうなのは、自分のしている事が悪い事だと気付いていない人たちです」と仰いました。
 翌日、お釈迦様は宝石をちりばめた見事な鞍を付けた馬に跨り、弓矢を背負って山道を登って行きました。その姿を見つけた泥棒の見張りが直ぐに頭に連絡すると、頭は「強そうな若者だ。油断しないで全て奪ってしまえ」と命令しました。五百人の泥棒は、お釈迦様を取り囲み襲ってきました。お釈迦様が、馬から降り矢を放つと、どうしたことか放たれた一本の矢は五百本に分かれ、五百人の泥棒に刺さりました。刺さった矢は抜こうとしても抜くことが出来ません。更に傷口は我慢ができない程痛みました。泥棒は「助けてくれ~。早くこの矢を抜いてくれ~」と口々に叫びました。お釈迦様は「それくらいの傷の痛みは何でもありません。恐ろしいのは心の傷です。旅人に恐怖を与え苦しめたことが、重い罪だと知らない心の愚かさです。その心の傷を治すことが最も大切だということに早く気付いてください。それに気付く迄苦しまなければなりません」。その言葉は泥棒の心に沁み込みました。そして泥棒は心から謝りました。
 それからは、この国境の道に泥棒は出なくなり、安心して旅を続けることが出来ました。更にこの国では、王様をはじめ全ての国民がお釈迦様の教えを実践し、お互いに助け合い励まし合って、喜びの声が国中に溢れるようになりました。

 私達は、自分は何も悪いことをしていないと思っています。それが間違いであると気付いていないから、過ちが起き迷惑を掛けてしまいます。誰もが人の物を盗んだり、暴力を振るったりはしませんが、心の中では、もっとひどいことをやりかねません。お釈迦様の教えに従い、自分の行動を深く考え、素直で清らかな心の養いをお受けください。

合 掌



「加藤朝胤管主の千文字説法」の感想をお手紙かFAXでお寄せください。
〒630-8563
奈良市西ノ京町457 FAX 0742-33-6004  薬師寺広報室 宛