薬師寺の周辺は稲作が盛んで、毎年10月になると田圃が一面鮮やかな黄金色こがねいろになびいています。米の量を表す単位の一つが「こく」で「石高こくだか」とは所有している土地の生産量を表します。安土桃山時代や江戸時代の日本において所領の規模は面積ではなく石高で表記されていました。
 金沢を加賀百万石と呼んだりしますが、江戸時代に加賀藩の石高が百二万石であったことから、その言葉が今でも伝えられています。因みに徳川幕府は八百万石と群を抜き、次が加賀藩の百二万石でした。
 度量衡とは、長さ・面積・体積・質量などの単位で、計量器に付いて定められた制度です。日本では計量法により昭和33年12月31日から取引や証明に尺貫法を用いず、メートル法により㎝とか㎡とか㎏に改めました。
 体積・容積の単位表記法は、一石が十斗、一斗が十升、一升が十合、一合が十勺と変わることなく使われています。今でも炊飯器の大きさは、「何合炊き」という表現が使われていて、お米を量る為の計量カップも1カップ=一合=180㎖と疑問を抱くことなく使用し、料理の計量カップと使い分けています。
 安土桃山時代や江戸時代において、一石とは大人一人が1年に食べる米の量に相当することから、これを兵士たちに与える報酬と見做せば、石高は戦国大名の財力だけではなく、兵力をも意味していました。だから百万石の大名とはその大名の領地で、1年間に収穫できるお米の量が百万石あり、百万人の兵力を確保しているという事です。
 江戸時代の大人が一人1日三合食べたとすると、米一合を焚いたご飯の量は、茶碗に約2杯分、三食で6杯となります。すると1年で2,190杯です。つまり一石は一人が1年に食べるお米の量となります。
 体積・容積の単位は、枡を基本の道具としていました。枡の大きさは時代や地域によって異なっていましたが、お米を量る為に枡という道具を用い徴税の道具とされてきました。枡の大きさが地域によって統一されていませんでしたので、霊元9年(1669)徳川幕府は一升枡の大きさを全国統一しました。
 最近のお米の販売は、1㎏とか3㎏とか袋入りですが、「ひょう」という単位も使用されていました。お米の入れ物として藁で編んだたわらを使って一俵で四斗と決められていました。重さにして約60㎏です。一石=十斗=二俵半=150㎏とすると私たちは1年間に150㎏のお米を食べる計算になります。
 お米は私たちの命を育む大切な食べ物です。たわわに実った黄金色に輝く稲穂を見ながら、自然のお恵みと大勢の人の手により田植えから収穫まで1年をかけて積み重ねた秋の実りに感謝しています。

合 掌



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