同じサンスクリット語を
鳩摩羅什三蔵は「観察された(avalokita)」と「音・声(svara)」で、悩める世間の人々の音声を観ずるものという意味で観世音と漢訳しました。
一方玄奘三蔵は「観察された(avalokita )」と「自在者(īśvara)」の合成語で、衆生の苦悩を観ずること自在なるものと解釈し「観自在」と漢訳しました。
一般的に観自在様よりも観音様又は観世音様として親しまれているのは、観音霊場の巡礼が盛んな為、身近なものとなっています。
観音様の在すお浄土は、ポタラカ(
『妙法蓮華経』観世音菩薩普門品第二十五には、「是の観世音菩薩を聞きて一心に名を称せば、観世音菩薩は即時にその音声を観じて、皆解脱することを得せしめん」と大慈大悲と智慧を強調し、世の人々の音声を観じて、苦悩を解脱せしめる優しさが説かれています。慈悲心を本誓とし、世間の衆生が救いを求めるのを聞くと、直ちに救済の手を差し伸べ、一切諸法の観察と同様に衆生の救済も自在であると説かれているからです。
例えば泥沼に墜ちて助けを求めている人がいました。今にも溺れそうになっている人を助ける為に、岸から手を伸ばし、声を掛けて励まし、身を挺し、力を信じて引き上げる人を観世音といい、泥沼に墜ちている人を助ける為に、自ら泥沼に入り、今にも溺れそうになっている人を下から持ち上げ岸に押し上げる人を観自在と私なりに解釈しています。手を伸ばすか、押し上げるか、人の役に立ちたいという思いはどちらも同じ菩薩の善行です。
玄奘三蔵は求法の旅より帰国してからの35年間を翻訳事業に専念されました。印度での実体験は言葉を正確に漢訳する事に大いに役立ち、経典を翻訳する時サンスクリット語の一文字ずつを厳密に精査して、事実に即した語彙や漢字を選んで正しく翻訳に勤められました。その結果が「観世音」ではなく「観自在」であると確信しています。
合 掌
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