推古天皇3年(595)4月に、淡路島に一抱え程もある流木が漂着しました。島の人々は、ただの流木だと思いたきぎと一緒にかまどべた処、忽ちとても馥郁ふくいくとした芳しい香りが立ち込めました。これに驚いた島民は、この流木を都に運び、推古天皇に献上しました。その時摂政であった聖徳太子が「これは稀有けうの至宝の沈香じんこうである」と仰ったそうです。
 沈香は、熱帯アジア雨林に分布する樹木の樹脂が硬化したもので、水に沈むほど重いので沈香と呼ばれ、更に加熱すると芳香を放ち、心を和ませます。香木は日本では生育しないため、当時の人々は存在を知らず薪と一緒に焼べた処、上品な香りがすることに大層驚いたことでしょう。
 香木が漂着した推古天皇3年(595)より半世紀程遡る欽明天皇の年(538)に百済の聖明王が佛教を伝えたとあるのが佛教伝来の始まりです。佛教は印度から中国そして朝鮮半島を経て佛像や経典、佛具と共に日本に伝えられました。当然「香華燈明」として佛教儀礼も伝わりました。香を焚き、花を供え、燈明を灯して佛前を清め、諸佛に祈願を込める儀式として香華燈明の荘厳は欠かせないものでした。佛教儀礼として使用される香は、自らの身心しんじんを浄め、佛様に香りを捧げることが、重要な祈りの作法であり、佛前を清め、諸佛に祈願を込める儀式である「供香くこう」として香の使い方が今に伝えられています。
 ふくよかな香りは、心の高ぶりや不安を鎮め精神性を追求する心を癒す優れた効果をもたらします。香りに触れる事により日常の煩悩から離れた清らかな別世界にいざなってくれます。

 動物や人には、外界を感知するための多種類の感覚機能があります。視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の5つの感覚で総称して五感ごかんと言います。
 佛教では、眼耳鼻舌身の5つの感官能力を五根ごこんと言い、感覚能力を認識する意を合わせて六根ろっこんと言います。六根は人間の知覚および認識を成立させるよりどころとなるもので、それぞれ色声香味触法(六境ろっきょう)を感知します。
 人は眼で色や形を見て、耳で音を聞いて、鼻で香りを嗅いで、舌で味わって、身で触ったものを、意で確認しています。五根で感じたものの内、眼で色や形を見て認識することが七割を超えるそうです。次に耳で音を聞くことで、第3が鼻で香りを嗅ぐ作用です。味わったり身で触ったりする行為は自らの意志が働いて行う事が多く、先の3つは眼を閉じていたり耳を塞いでいたり鼻を押さえていない限り自らの意志に依らなくても外界から自動的に齎されます。
 人は六根で確認したものを正しく認識する時も在りますが、自らの思い込みで判断し身勝手な受け取り方を積み重ねる事が多々あり、その根源が煩悩ぼんのうです。煩悩とは、悪い心の働きで、身心を煩わし悩ます精神作用です。所謂心の穢れや汚れです。根源的煩悩として貪欲とんよく瞋恚しんに愚癡ぐちがあげられ、三毒さんどくと言います。貪欲はむさぼり、瞋恚は怒り、愚癡は愚かさです。『阿毘達摩倶舎論』には「有情うじょうの身心を煩わし悩ますが故に煩悩と名く」とあります。
 お釈迦様は「友よ、ものの快いすがたよこしまに思うことから貪欲が生じ、ものの心に合わぬ相を邪に思うことから、瞋恚が生じ、また、正しくない思慮に依って、愚癡が生じ、増大するのである。それゆえ、快い相を正しく思い、快くない相を間違いなく判断していつくしみの心を貯える時は、貪欲と瞋恚と愚癡は生じない」と『増一阿含経』に説かれています。

合 掌



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