「浄瑠璃」は、三味線を伴奏とする語り物の一つで、もとは琵琶伴奏による語り物でした。室町中期に盲目の法師が琵琶をかき鳴らしながら御伽草子に節を付けて語ったのが始まりと言われています。
 佛教の影響を受ける演目が多くある中で、特に『浄瑠璃姫物語』は有名で、牛若丸と浄瑠璃姫の恋物語です。あらすじは、三河の矢作やはぎに住む長者さんは、なかなか子宝に恵まれませんでした。そこで村のお薬師様に願掛けをしたところ、めでたく子宝に恵まれ、可愛い玉のような女の子が授かりました。長者さんは、お徳が戴けたと薬師瑠璃光如来の名に因んで浄瑠璃姫と名付けました。
 お薬師様は、東方浄瑠璃浄土の教えを説く如来様で、菩薩として修行中に十二の大願を発して、最高の悟りの結果をあきらかにせしめんと誓い、一人でも多くの人々の願いをお聞きくださっています。ですから衆生に楽を与える大慈と、衆生の苦を取り除く大悲の心を以って果報をもたらす現世利益の佛様として信仰されています。応病与薬の教えによって幸せを招き、苦を抜き楽を与えて下さる抜苦与楽ばっくよらくの佛様であるからこそ医王如来として大勢の人々に仰がれ、親しまれ、頼られていらっしゃいます。
 成長した浄瑠璃姫は、牛若丸と出逢い恋に落ちるのですが、この恋は成就することなく悲恋に終わってしまいます。この物語を法師が琵琶を弾きながら情を込め、時には面白可笑おもしろおかしく語ったことから爆発的に流行するようになり、楽器も琵琶から三味線へと変化し、語る物語の総称を何時しか「浄瑠璃」と呼ぶようになりました。
 長者さんのお薬師様への祈りは、新たな命を授かる喜びとなりました。喜怒哀楽や欲望の姿は、身近に起る出来事で、琵琶法師が語る事により誰もが共感できる説話として人気を博し、佛教の影響を受けた日常生活の些細な出来事が、信仰心として素直に受け入れられました。琵琶法師が語る平易な佛教の教えが、数少ない庶民の娯楽として受け入れられ、信仰と共に芸能として発展していきました。
 この様に変遷を遂げた浄瑠璃ですが、江戸中期に至り非凡の文才である近松門左衛門により従来の作風を一変させ、更に当時語り手の名人であった竹本義太夫と提携してその語り物に劇的な深みが加わり、一大変革を齎すこととなりました。こうして近松門左衛門と竹本義太夫の二人の貢献により、操り人形浄瑠璃の大成となりました。
 日本を代表する伝統芸能である人形浄瑠璃文楽は、太夫、三味線、人形が一体となった芸能です。二人の功績以来人形浄瑠璃は、大人気を得て多くの人形浄瑠璃座が出来ました。中でも幕末に淡路島の植村文楽軒が浪花で始めた一座が最も有力で中心的な存在となり「文楽」が人形浄瑠璃の代名詞となりました。

合 掌



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