「白鳳時代に建てられた古代建築の東塔には釘が一本も使われていません」ガイドさんから説明を聞いた多くの人は、「釘が一本も使われていないんだってぇ、すごいねぇ」と感動されています。時々こういった間違った説明を耳に致します。釘を一本も使わないというのは大きな誤りで、実際は沢山の釘が使用されています。
 飛鳥時代から明治時代初頭までは和釘わくぎが使用され、千年経ってもビクともしない建物を作り上げました。木組みによる柔構造じゅうこうぞうと、釘による硬構造こうこうぞうを適材適所に組み合わせる事による建築だからこそ、千年を超える木造建築が存在しているのです。
 釘は金属や竹、又は木で作った棒の端を細くとがらせたもので、金槌で打ち込み固定接合するものです。鉄釘の材料となる鉄は、原料の砂鉄を木炭を用いて還元し、純度の高い鉄を生産していました。古来より日本で使用されている鉄釘は、近代まで国内の到る所で製造され、角釘かくくぎまたは和釘と呼んでいます。
 和釘は日本古来の建築に用いられる釘であり、鉄を叩いて造り四角い断面を持つのが特徴です。形状は直線的に先端を細めたもので、時代の推移に従って太目の造りから細身の繊細な形に変化しています。飛鳥時代は建築物の木組みの太さに合わせ釘自体も太く、釘頭の形状も未発達で、太目で頑丈な傘状でありました。
 写真中央は平成10年東塔古材調査の折、別保存されていた白鳳時代当初の東塔古材の配付飛檐垂木はいつけひえんだるきに打ち込まれていた釘を抜き取ったものです。頭部を板状に叩き伸ばし首部をやや細め、胴部を僅かに太くすることにより木材の結合を緊密かつ抜けにくくし、木材に打ち込むとき釘によって亀裂が生じないよう工夫されています。
 釘を木材に打ち込んだ時、一旦は釘と木材の間に僅かな隙間ができますが、木材の繊維は元に戻ろうとして膨らむので、やがて隙間は埋まってしまいます。こうなると釘はもう抜けません。仮に釘頭の表面が錆びたとしても、釘の本体は木材にぴったりとくっ付き、確実に柱を繋ぐ役目を果たしています。
 写真左は昭和44年7月1日より8月6日まで薬師寺と近畿大学が中心となり、奈良国立文化財研究所が協力して薬師寺伽藍発掘調査団を結成し、杉山信三氏を代表として発掘調査が行われました。遺構より多数の遺物が発見された中の金属遺物の一点で、創建時の基壇部より発見されました。天禄4年(973)2月27日の火災の折焼け残った和釘であろうと推測されています。
 尚、私達が現在一般的に目にする釘は、明治6年(1873)アメリカより輸入されたものが最初で、丸釘まるくぎまたは洋釘ようくぎと呼んでいます。

合 掌



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