薬師寺は白鳳時代に天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒の為に発願され、建立された1300年の歴史ある寺院です。
天武天皇と皇后の想いが込められた薬師寺は、その後二度の火災によって灰燼と帰し、創建当初の建物は東塔を残すのみとなりましたが、昭和42年高田好胤管長の提唱による般若心経のお写経勧進よる佛心の浄業により、金堂・西塔等の復興が成り、現在も白鳳伽藍の復興が続けられています。
創建当初の大講堂は、天禄4年(973)に焼失し、再建の建物も享禄元年(1528)の兵火で焼けた後永く放置されたままで、嘉永5年(1852)に規模を縮小して仮の講堂が建てられましたが、御本尊を開眼された天皇である持統天皇の1300年玉忌にあたる平成14年に創建当時の姿に立派に復興できたことは、物で栄えて心で滅ぶと言われている昭和・平成の御代に高田好胤管長の提唱による般若心経のお写経勧進の浄業による集大成の賜物です。
昭和51年金堂、56年西塔の落慶に続き、白鳳伽藍の節目となる大講堂の復興は、中門・回廊の復興を進めるのと並行して進められました。平成8年の起工式から6年の歳月を費やして見事に復興できました。
大講堂は正面138尺(41m)奥行67尺(20m)高さ57尺(17m)あって白鳳伽藍最大の建物です。講堂が金堂より大きいのは古代伽藍の通則で、これは南都佛教が教学を重んじ講堂に大勢の学僧が参集して経典を講賛したためで、特に薬師寺では、平安時代に入ると
大講堂のご本尊は持統天皇が夫である天武天皇の七回忌供養の為に造顯した高さ3丈(8.9m)広さ2丈1尺6寸(6.5m)阿弥陀浄土の大繍佛でした。しかしそのご本尊も重なる災難によって失われ、嘉永5年(1852)に再建された仮の講堂に西院弥勒堂にお祀りしていた金銅の三尊像を仮の講堂ご本尊としてお祀りしたことが伝えられています。
薬師寺は堂塔伽藍の復興に留まらず法会の復興にも勤め、長年途絶えていた最勝会の復興も480年振りに復興したのをはじめ、その後毎年盛大に厳修しています。更に研学増進の道場である大講堂に於いて、本来の形である講問論義を毎月弥勒縁日として勤めています。
合 掌
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