『薬師瑠璃光如来本願功徳経』は通称『薬師経』として親しまれています。このお経は、玄奘三蔵法師が翻訳した1335巻の内の一巻で、永徽元年(650)5月5日、長安大慈恩寺翻経院に於いて漢訳されました。
  薬師瑠璃光如来は、東方浄瑠璃浄土の教主で、菩薩として修行中に十二の大願を発して、一人でも多くの人々の疾病を治癒し寿命を延べ、災禍を消除し、希望の衣食を満足せしめ、更に佛行を行じては無上菩提の妙果を証らかにせしめんと誓い、その後薬師佛として成佛したと説かれています。その後も瑠璃光(衆生に楽を与える大慈と、衆生の苦を取り除く大悲の心)を以って病苦を救う現世利益の佛様です。
 薬師如来のまたの名を医王如来ともいい、肉体と精神の病を治癒する法薬を与える医薬兼備の佛様として、多く信仰を集めています。
 人間にとって死を招く原因が病気です。体が動かなくなるのも病気なら、身の不幸、心の病も病気です。飽くなき欲望、不正直、疑いの心、怒り、愚痴も全て病気です。応病与薬おうびょうよやくの妙法で、苦を抜き楽を与えて下さる抜苦与楽ばっくよらくの佛様であるからこそ、大勢の人々に仰がれ、親しまれ、頼られていらっしゃいます。
 金堂内の正面にお座りになっている佛様が薬師如来様。向かって右にお立ちになっているのが日光菩薩様。左にお立ちになっているのが月光菩薩様。お薬師様がお医者様とするなら、日光様と月光様は看護師さん。何故お二人もおられるかというと日光様は日勤の看護師さん、月光様は夜勤の看護師さん。
 3体合わせて20トンの銅が使われています。薬師三尊様が完成したのは持統天皇11年(697)、日本で初めて銅が発見されたのが和銅元年(708)。それを記念して元号を景雲から和銅と改元しました。 薬師三尊像を制作するための銅は外国(中国)のものです。当時銅は金と同じだけの価値があったと言われています。
 大海人皇子は飛鳥浄御原宮あすかきよみはらのみやで第40代天武天皇として即位されました。そして天皇と行動を共にされた鸕野讃良皇女うののさららのひめみこは皇后となり、天武天皇を直接助けました。その皇后が天武9年(680)病気になられます。『日本書紀』11月12日の条に「皇后が病気になられた。皇后のために誓願をたて、薬師寺を建立することになり、100人の僧を得度させたところ、病気は平癒された」とあります。また東塔の『檫銘さつめい』に「中宮の不愈みやまいしたまふを以て、此の伽藍をはじめたまふ」と同様の事が記されています。天武天皇は、皇后様の為だけに薬師三尊像の造立を発願されたのではありませんでした。一心に国民の幸せを願っておられた天武天皇は、皇后様の病気平癒を方便として人間の最大の苦しみである病から国民を救うため造立を願われたのではないでしょうか。しかし発願した天武天皇が崩御されてしまいます。跡を継いだ持統天皇は、薬師三尊様の開眼式を持統11年(697)7月29日に行ないます。そして8月1日、今は亡き夫天武天皇の誓願を果たす事が出来たので、皇太子(文武天皇)に天皇の位をお譲りになりました。
 奈良薬師寺では毎月8日(東京別院では12日)の薬師縁日に薬師三尊様の御宝前で大般若経転読と薬師経を読誦する法要を厳修しています。

合 掌



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