お釈迦様の成道じょうどう (さとり)の内容は、「縁起の法」です。 全てのものには、原因があり縁が働いて結果が生まれる。この原因と結果の関係「縁起の法」を明確にされたのがお釈迦様の悟りの原点です。
 インドのバラモン社会は、四姓による不平等な社会でありました。その事に疑問を感じたお釈迦様は、階級制度(カースト)の打破を願われました。「人は生まれによって尊からず、人は生まれによって卑しからず、人はその行為によって卑しくもなり尊くもなる」との考えの下、カースト制度はバラモン思想に基づいて構築され起こるのであるから、救済するためには人民を一人ずつ説得しなければ幸せに導く事はできないと考えたのです。
 紀元前13世紀頃、西から移住してきたコーカソイドのアーリア人が原住民のドラヴィダ人を支配するために、カースト制度を作り出したといわれています。そして自らを最高位の司祭・僧侶階級に置きブラフマーナ(バラモン)と称し、インドに定住していた住民を迫害して奴隷化しました。侵入者のアーリア人は、祭祀を通じて神々と係わる特別な権限を持つバラモンという階級を設定し、王族・貴族をクシャトリア、一般平民をヴェイシャ、そして奴隷をシュードラに分け、不可触賎民をチャンダーラと位置付け、病める社会で生きざるを得ない人々を創り上げました。
 勿論お釈迦様自身が階級制度の中に生まれ育ったわけで、基本的なカーストの思想は当然であり、当初は変わることはないと考えていたに違いありません。しかし、皇太子として成長するに付け、ねじれた社会に疑問が生じました。神が創造したという思考を真向から否定し、自らの生死は創造神の運命によるものではないというバラモン思想の根本概念を覆す事にこそ真実の理想社会を見出しました。そして「人は生まれによって尊からず、人は生まれによって卑しからず・・・」の基本的平等性を実践するために出家されたのです。ここにお釈迦様の宗教性が感じられます。
 6年間の苦行はこの原因と結果の探求のための時間であったのではないか。自らの心を変えるのは並大抵のことではありません。他者からのアドバイスを受けることもない中で、先ずバラモン社会をしっかり考察し自問自答する必要があり、階級制度の中に生まれ育ったその思考を根底から覆すには、やはり相当の年月が必要であったと考えられます。自己検校を繰り返し、正しいと考えられていたバラモン思想の常識を根本的に覆すことが多くの人民を救う方法であると確信したのでしょう。
 『スタニパータ』の「アッタカヴァッガ」(八詩頌章)「闘争」に見るように縁起観の原形は「争い」が基になって起きるのだと結論を示し、その原因となるものは「愛し好むもの」があると因果の教えを示しています。愛し好むものとは、貪りは「欲望」に基づいて起こる「快・不快」によるものである。快・不快は「感官による接触」に基づいて起こる。感官による接触は「名称と形態」によって起き、「所有欲」は欲求を縁として起き「我執」が存在すると論理付けるのです。「争いは我執によって起きる」といきなり結論付けるのではなく、「此れあるが故に彼あり、彼あるが故に此れあり」と一つ一つ段階を追って説得しない限り多くの人民を差別の呪縛から救うことができなかったと考えます。
 お釈迦様は、「縁起の法」を理論付け、人民を正しく理解させ幸せに導くために自ら欲望を捨てることにより共生する社会の構築を願ったのでした。 人間の生がなければ争いは起きないのではなく、人間が存在するから悪いのではなく、人間の存在自体が争いを起しているのではあるが、生ある限り喜びと感謝の心を持って慈悲の眼差しの養いを戴ける清らかな世界を求め作り出す種まきのため、遊行生活を送られたのではないかと考えます。

合 掌



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