天地あめつちの 神にぞ祈る 朝なぎの 海のごとくに 波たたぬ世を
  このお歌は、昭和天皇様が昭和8年の歌会始で「朝海あしたのうみ」という御題で世の太平を祈ってお詠みになられた御製ぎょせい です。 昭和4年の世界恐慌により日本も大不況となり、企業の倒産、失業者の増加、農民の困窮等社会不安が増大しました。大財閥の富裕層は大不況とは裏腹に更に富を蓄積し、社会の格差の広がりが問題視される中、政治の革新が求められ、世情の混乱が進み緊迫していきました。
 昭和7年5月15日には武装した海軍の青年将校たちが総理大臣官邸に乱入し、犬養毅内閣総理大臣を殺害する反乱事件が起きました。政党と財閥を倒し軍事政権の樹立を目指す過激化した将校らが国家革新を求める事件で、それが五・一五事件です。
 昭和天皇様は、激動する世が安らかであれと願ってお詠みになられたのではないかと思います。
 更に昭和15年は神武天皇様が橿原の地で即位されてより2600年の節目の年に当ります。この御製をもとに、昭和15年11月10日に開催された「皇紀二千六百年奉祝会」に、宮内省楽長・ 多忠朝おおのただとも 氏により昭和天皇様の御製に作曲振付され、各地の神社で奉納されたのが「浦安の舞」です。「浦安の舞」は、神前神楽の代表的楽曲として今日も盛んに舞われています。神楽舞は、「神と人とが享楽する神人和楽の境地」といわれ、神様のお慶びを、人々も楽しませて頂く事です。神と共にあり、神人一体となって舞うことが、祭祀舞で大切だと言われています。 昭和天皇様の御製にある「朝なぎの海のごとくに波たたぬ世」の大御心おおみごころ は「皇紀二千六百年奉祝会」に相応しい神楽の歌詞です。
 「浦安」とは心やすらかという意味で、古く我が国が「浦安の国」とも呼ばれたのは、風土が美しく平和な国であったからです。 東京ディズニーリゾートの所在地である千葉県浦安市舞浜地区の地名は、『日本書紀』に由来しています。 神武天皇即位31年夏4月1日、天皇の御巡幸がありました。 掖上わきかみ嵰間ほほまの丘に登られ、国のかたちを望見していわれるのに、「なんと素晴らしい国を得たことだ。狭い国ではあるけれど、蜻蛉あきつが連なっているように、山々が連なり囲んでいる国だなあ」と。これによって始めて秋津洲あきつしまの名ができました。昔、伊弉諾尊いざなぎのみことがこの国を名づけて、「日本は心安らぐ(浦安)国、良い武器が沢山ある国、優れていて良く整った国」といわれました。また大己貴大神おおあなむちのおおかみは名づけて「玉牆たまかきの内つ国」といわれました。饒速日命にぎはやひのみことは、天の磐船に乗って大空を飛び廻り、この国を見てお降りになったので、名づけて「空見つ日本やまと の国、良い国だと選ばれた」といわれました。と『日本書紀 巻第三』にあります。 また「浦安の舞」の歌と神楽笛の譜面の表紙裏に浦安の舞の解説が書かれています。 「浦安、うらハ心の義ニシテ、やすは安ノ義ナリ。 心中うら (裏)ノ平安ナルヲ謂フ。歌詞等ニうら淋シ。うら恥シ。うら恋シ。ナド用ヒレラレタルうら、ソノ用語例同ジ。古来、我国号ヲ、浦安国ト称シタルハ、国土秀麗ニシテ、四囲安寧ナルヲ謂ヘルニ外ナラズ」とあります。 「うら」は心を指す古語であり、「うらやす」で国と国民の無事を願う心中の平穏を表す語であるとされています。また村名は漁業が生業であったことから、漁浦の安泰を祈願する意味で、波のない穏やかな「平和」を天神と地神に祈るという思いが、「浦安」の語に込められています。 「浦安」の名称は、明治22年の堀江・猫実・当代島の三村合併の際に「浦、安かれ(海辺が安泰であってほしい)」との願いを込め、初代村長の新井甚左衛門氏が付けたといわれています。
 「浦安」の命名の由来に触れ、それぞれの地名には深い歴史が込められています。今お住いの地の歴史を調べてみては如何ですか。

合 掌



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