平山郁夫画伯が画家として脚光を浴びたのは、昭和34年の院展に「仏教伝来」を出品されてからです。平山画伯は、昭和20年広島で被爆されました。画家として制作する中、原爆の後遺症で意識が薄れたりすることが度々あったそうです。 その中で、この絵が最後になるかもしれないと渾身を籠めて描いた絵が「仏教伝来」でした。この作品は、玄奘三蔵が国禁を犯してインドへ17年にわたる求法の旅を描いたもので、画壇で大きな評価を受けました。 爾来じらい、平山画伯は、玄奘三蔵の道、仏教伝来の道、東西文化交流の道、シルクロードを歩きこれを画題とし描かれました。 玄奘三蔵が歩いた道を可能な限り追体験をする事が玄奘三蔵に対する恩返しであり、中国西域の熱砂の旅や、酷寒のヒマラヤや、パミール高原に登り高山病も経験されたそうです。 タクラマカン砂漠の楼蘭遺跡では零下14度の中で野宿をした経験など、貴重な体験をもとに日本文化の大恩人である玄奘三蔵の歩いた求法の道『大唐西域記』を玄奘三蔵顕彰の為製作しようとお考えになりました。
 平山画伯と高田管長とのお二人の会話の中で、平山画伯は、「玄奘三蔵を顕彰するならば是非私にお手伝いさせてください。 私は画家なので、玄奘三蔵の求法の旅を描きたい」と。 高田管長は「それでは私は玄奘三蔵が翻訳された般若心経をお写経して頂き伽藍を建立して頂きます」と。 玄奘三蔵顕彰に対するお二人のそれぞれの思いが一致し、玄奘三蔵院伽藍の建立となりました。 その後、平山画伯は、玄奘三蔵が歩まれた3万㎞の道を自ら歩まれました。その回数は130回におよび、描いたスケッチは4,000枚を越えました。20世紀最後で21世紀の幕開けである平成12年12月31日から平成13年1月1日にかけ、 大唐西域壁画が玄奘三蔵に奉納されました。正に玄奘三蔵のお計らいであると思います。
令和4年1月16日まで特別公開していますので、是非ご参拝ください。

合 掌



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