名古屋の
明治31年(1898)地方行政官であったイギリス人ウイリアム・C・ペッペが、インドのネパール国境近くに位置するピプラハワ村の自分の荘園内にあった佛塔を発掘し、一枚岩をくりぬいた砂岩製の大
水晶製の舎利容器(高さ8.9cm,直径8.3cm)は、蓋の把手が魚の形をしていて、魚の胴体の中空部分に金箔製の装飾品が封入されていました。
骨片を収めた滑石製の舎利容器(高さ15cm,直径10cm)には古代文字で「これは釈迦族の佛・世尊の遺骨の
佛塔に奉安されている舎利容器は、何れの場合も入れ子容器です。石製や銅や銀で被覆し、容器内に瑠璃や水晶や黄金で作られているのが特徴です。更に内には珠玉など七宝に適う装飾品が込められ、容器の表面には豪華な装飾が施されている場合が多く見受けられます。
荼毘に付される前のお釈迦様の棺が金・銀・銅・鉄で設えられた四重棺であったとする経典の諸説とも一致しています。
ペッペは発掘品をイギリス政府に寄贈しましたが、政府は明治32年(1899)、釈尊の遺骨を佛教国であるシャムの王室に寄贈し、宝物は一部をカルカッタ博物館に、他の一部をロンドン博物館に、残りをペッペに返還しました。
シャム国ラーマ五世は明治33年(1900)、さらにその遺骨をビルマ、セイロン、日本に譲渡しました。日本の佛教会は明治37年(1904)真舎利と黄金の釈迦像を奉安するため、名古屋に覺王山
合 掌
写真は、ピプラワから発掘された水晶製舎利容器
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