【文字の起源】
【神】の本来の字体は、〔示〕と〔申〕を合っした文字です。〔示〕は、
〔申〕は、雷のいなびかりの形をかたどり、真直ぐに伸びる意です。
【佛】は〔人〕と〔弗〕を合っした文字で、〔人〕は、立っている人を横から眺めた形の象形文字です。ひと・にんげん・たみ・国民です。
〔弗〕は縦の二本の線は反り返って合わないものを示しており、曲がったものを紐でくくることを表すことから背くとか違うという意です。
梵語buddhaの音訳に佛陀が用いられてから、佛は一般には〔ホトケ〕を意味することとなりました。佛は人でありながら人に非ず(弗)特別な人。悟った人。梵語を音写する時に、音だけでなく文字の持つ意味を的確に選択して「佛」の文字を用いています。
一般的には「佛」を「仏」と表記していますが、文字に含まれている意味からすると「仏」の文字を使用するのは相応しくなく、「人偏にム」は何ら意味を持たない単なる記号に過ぎません。「佛」の文字を使用するのが当然であるといえましょう。
また〔ホトケ〕は絡まった糸(人間の煩悩)を〔ほどく〕が〔ほとく〕になり〔ほとける〕〔ほとけ〕と語源変化したといわれています。
【神の具現化】
奈良時代において神佛の関係に大きな転換が起こってきます。それは神身離脱思想というものです。風雨不順・五穀不作・疫病蔓延といった地域社会の安穏が損なわれていくことが度々起こり、これまで通りの神であっては地域社会の要望に応え切れず、
佛教の呪力が不可欠であるとする思想です。
この様な神佛の交流が神佛習合となり、具体的な現象として登場するのが神宮寺の出現です。神宮寺とは神威の衰えた神を救い護るために神社の傍らに建立された寺院をいいます。
神宮寺の出現は奈良時代(8世紀)からで、その後時代を追って増加し神社と寺院が共存していくのです(現在では、慶応4年3月13日に神社から佛教的な要素を排除する神佛分離令によって神社と寺院が分離されたため、両者が共存する例はほとんど見かけられません)。
神宮寺が出現すると必然的に神前読経が伴ってきます。元来、神前で読むのは祝詞ですが、神は佛法を悦び歓迎するのですから、神前で僧侶が悔過や読経をすれば神は当然歓喜すると考えられました。佛教儀礼が執り行われるようになると、
佛像と同様神の姿をかたどった具体的な礼拝対象が求められるようになりました。ここに「神像」が登場します。また寺院も伽藍鎮護を目的として寺院の門前や境内に地主神や護法神(佛法を守護する天部の神々)を祀る神社が建てられました。
これを鎮守社といい、神宮寺と対象となります。
≪つづく≫
合 掌
※写真は、薬師寺鎮守 休ヶ岡八幡宮の神像【国宝】 八幡三神像
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